こんにちは。靴作り専門学生のNORIです。
今回は、タイトル通り!の内容になっております。
本当は半年ごとにこのような振り返りができるとよかったのですが、、、、、
はい、サボってしまいました。笑
しかし、卒業を機に再スタートということで、ちょくちょくブログを書いていき、私の経験したことや考えていること、今後やっていきたいことなどなど、、、発信していければと思います。いや、します!!!
今回は、文字ばっかりです。よろしくお願いします。
私の経歴(入学まで)
ここで少し私の自己紹介も兼ねて経歴のお話を改めてしておきます。
私は、福岡県出身の28歳男子です。(2022.2.5現在)小学校から大学までを地元福岡で過ごし、就職で愛知県へ引っ越しました。ちなみに、大学では機械工学科と呼ばれる学科に所属しており、がっつりと理系男子を4年間していました。そんなことから、仕事はエンジニアとして、自動車業界に進みました。約4年間という短いような長いような期間をそこで過ごし、このまま年を取るだけは嫌だ、靴業界に進みたいと強く思い(特に靴を作ることに対してです。)、現在通っている学校がある兵庫県の方に引っ越してきました。小学校から、習い事としてピアノ、太鼓、書道、サッカーとしてきました。ピアノと太鼓は小学校まででしたが、書道とサッカーは高校までと結構長いことやってきました。
小学生時代は夏休みの宿題(自由研究とかの方)に、毎年何かしらの賞をもらうほど力を注いできたり、プラモデルを一心不乱に作るような子供でした。また、書道に通っていたため、習字でもよく賞をもらったりもしていました。あとは、栽培係として、学校で野菜を育てるのに夢中になっていました。栽培するのも楽しかったですが、できた野菜を持って帰ることが許されていたので、家に持って帰って、食費の面で親を助けたいなんて思ったりして、頑張っていたのを覚えています。子供ながらに、自営業(造園業)をしている親に対して何かしら考えていたのではないかと思います。
中学生時代はサッカーと勉強に力を注いだ3年間でした。サッカーは、かなり厳しい先生やうますぎる先輩方に出会い、それに必死についていくうちにかなり成長させていただきました。別にうまくもなかったですし、体も小さかった私ですが、体の使い方を工夫したり、相手の目を見ることで次どう動くなどを先読みするなどして、自分の短所をうまく補っていました。そのおかげもあり、サッカーに自信が持て堂々とプレーしていましたし、楽しかったのを覚えています。特に1対1の場面が大好きでした。私はディフェンス(守る人)のポジションで、よく1対1の場面があり、相手との駆け引きや体の入れ方などでボールが奪えるような技術が身に付き、気付けば私の持ち味にもなっていました。また、2年生から頭が悪すぎることから塾に通うことになりました。勉強をしなければならないとわかっていましたが、サッカーの疲れからすぐに寝てしまっていたため、まったく勉強していなかったんです。ただ、この塾が効果抜群で勉強が楽しくなってきたんです。テストでも最高で学年5位くらいにはなった記憶があります。(勉強面での誇りとして未だに覚えてます。と言っても約120人中ですけど。笑)そんな感じで、高校は進学校でサッカーも公立高校の中では強いとされるところを選び、無事に合格しました。
高校生時代は、、、、、
あまり覚えていないと言いますか、これを頑張ったなという記憶が薄いです。サッカーと勉強を頑張ってはいましたが、あまり成果も出ず、気付けば何事も笑いでごまかすような人間になっていたような気がします。そうです、このころから逃げるような人間になっていました。楽しければそれでいい、楽にお金を稼ぎたい、楽して生活したい、、、楽をしたいけどめんどくさいと思うことはしたくない。ただのわがままで、何もできない人間になっていこうとします。しかし、周りにいた友人のおかげで、平均的な成果は上げられていたような気がします。個人的には、「自分ダメだな~。やらないと。」と思い、やるがうまくいかないみたいな感じでした。とりあえず、親のお金と奨学金を借りて、大学に進むことにしました。働くなんて考えは、進学校であったためか、まったくありませんでした。それなりに勉強を頑張ってはいたため、私立の大学に合格することができました。
大学生時代は、アルバイトはもちろん、彼女、ギャンブル、たばこ、酒、、、、(初体験ばかり)
大学生ってこんな自由なんだ!と思い2年間くらいは頑張っていたものの、就活が近づくにつれていろんな方に逃げていました。そうはいっても、アルバイトでお金を稼ぐことの大変さや留年だけはしないという気持ちからか、毎日忙しくも楽しく生活をしていました。また、貯めたお金で旅行をするなど、いろんなところに行ってみて、その場所のいいところをたくさん見られたことは本当に良かったなと思います。就活が始まりだすと、私自身のことを知ることから始めたのですが、これが全く分からない。。。ありきたりな文章をつらつらと書き、それを覚えて面接などを繰り返していましたが、そもそもどんな仕事をしたいなんてこともわからず、初めて何をしたらいいのかわからないパニックに陥りました。考えれば考えるだけ、答えの見えない道を進んでいるような感覚でした。とりあえず、1社から内定をもらい、そこから解放されたかのように何もしなくなりました。一応本命と思っていた会社がその後にありましたが、普通に落とされました。何はともあれ、留年することなく、就職も一応決まり、大学生活を満喫し、たくさんの友人に出会え、「ただただ楽しかった!」その一言に尽きるものとなりました。
会社員時代は、仕事よりそれ以外に強く楽しみをもつようになった時だと思います。
仕事は、会社にいる時だけでそれ以外の時間は私のもの、会社はいつ辞めてもかまわない、日本にはたくさんの会社があるのだから!こんなマインドで生活していました。初めこそ、私は何もできない、使い物にならない、こんなこともできないのか等のネガティブな感じでいました。すると次第に死にたいと思うようになっていました。お酒もたばこもこの時期は、すごかったと思います。正直かなり荒れていました。しかし、同期に恵まれ、仕事以外での楽しみができたこと、別にやめてもいいじゃないかという気持ちからか、気楽に無理なく仕事ができるようになりました。例えば、これができないし調べてもわからないから私はだめだと思うのではなく、先輩や上司に聞くことで解決する。え?こんなこと?と思う方もいると思いますが、その時の私にはそんなことすらもできない状態になっていました。また、後輩が入ってきた時に、私ができていることができていない様子を見ると、少しは成長してるんだと思うことができたりと仕事にも少し楽しいという気持ちが出てきました。ほんとに少しですが。(笑)ちなみに、やっていた仕事は、技術者として派遣されて、その派遣先の仕事をそこの正社員の方と一緒に頑張るみたいなことでした。その中でも、私の場合は自動車関係のシステムエンジニアでした。現在の自動車の開発は、実際に自動車を製作して検査をするなんてことはしません。ある程度、パソコン上で開発していきます。
仕事の話はちょっと置いといて、同期に恵まれたと書きました。そう、ここでようやく革靴と出会います。社会人になるとスーツや時計、鞄、革靴などが必要になる人が多いと思います。私もその一人で、スーツで出勤していたため、一通り揃えていました。最低限ですけどね。その中でも革靴に興味を持ちました。それは、革靴が好きで、靴磨きが好きな同期であり友人に出会ったからです。私もその方の影響で革靴を数足購入しては、靴磨きを日々行い、靴磨きのお店にも行っていました。そこで革靴の魅力に惹かれていくと同時に、足に痛みが出てきました。小指の爪部分や踵が痛くて痛くて仕方ありませんでした。仕方ないですよね。自分に合った革靴を履いてなかったのですから。。。ここで、いくら高い靴を履いたって、いくら靴磨きで綺麗にした靴を履いたって、自分に合った靴を履いてないと、ただただストレスが溜まったり、そもそも靴を履きたくない・履けない状態になることに気がつきました。そんな時、小学生の頃に物作りが好きで大学も一応そういった進路で進み、卒業後に自動車の開発に関わっていることにも気がつきました。この二つの気づきから、「じゃあ、自分の手で自分の足に合う靴を作ればいいちゃない?」と思うようになりました。一度、こう思ってしまうと最後というか、常にこの思いが頭の中を駆け巡るようになりました。毎日、靴を作れる環境を探す日々が続き、実際に見学に行くことになりました。見学の話は別で書いてますので良ければ、読んでみてください。
この他にも、靴教室にも数カ所お邪魔しました。そこでわかったことは、靴作りはどこでも学べるということです。また、足のことを学べる環境は、神戸医療福祉専門学校三田校の整形靴科だけだということもわかりました。私が靴作りを始めようとしたのは、足の悩みが起きたことがきっかけであったことがどうしても頭から離れることがなかったことから、三田校の整形靴科に進学を決めました。靴作りの技術は、大阪や神戸の靴教室でさらに学ぶことでより技術を高めようとも考えていたため、問題ないと判断したのも覚えています。
実際に、会社を辞めた後、1ヶ月間福岡の靴教室に通っていました。
という感じで、学校入学までの経歴をざっと書いてきました。大した経歴もありませんが、これが私です。
学校に通い、約2年間で学んだこと
学んだことは、たくさんあり過ぎます。学校のHPに授業の名前は書かれていますが内容が書かれていないため、簡単に書いていきますね。
まずは、勉強編です。
- 解剖学(骨や筋肉、関節や靭帯などを覚え、この運動にはどの筋肉が使われているかなどを学ぶ)
- 運動学(歩く動作を細かく見たり、問題がある歩き方はどういったものかなどを学ぶ)
- リハビリテーション医学(リハビリテーションとはそもそも何かなどを学ぶ)
- 整形外科学(実際に整形外科のお医者様に来ていただき、より深く解剖学や運動学などが学べる)
- 義肢装具学(靴以外の装具について学ぶ。例えば、義足・手やコルセット)
- 関係法規(卒業後に義肢装具会社に勤めることが多いことから、そこで必要な法律のことなどを学ぶ)
- 整形靴概論・理論(整形靴とはそもそも何か、整形靴技術には何があり、どんなことができるのかなどを学ぶ)
- 靴材料学・靴専門知識(靴に使われる材料や専門用語などを学ぶ)
- 靴デザイン学(ファッションの一部であることから、靴のデザインを歴史から学ぶ)
- 足情報収集論(実際に靴や中敷を製作するために何をお客様から聞き出す必要があるのか、またその方法などを学ぶ)
続きまして、実技編です。
- 基本工作論・靴修理・健康靴と調整(グラインダーに慣れるための課題を与えられて削ったり、実際に靴を用意して修理をしたり、靴の調整[例:足の長さが左右で異なる場合、短い方に体が傾くため、靴の底に厚みのある材料をつけて高さを揃えるなどの加工を行う]をする)
- 足底板製作・演習(さまざまな中敷の製作を経験する)
- パターンデザイン・製甲(靴の上部分であるアッパーを数パターン製作する)
- 木型調整・靴製作実習・靴適合演習(その人の足に合わせて木型を削り、靴を製作する。その後、その人に合っているかを確認する。)
- 木型製作・整形靴(お客様を呼び、整形靴を製作する。その後、その人に合っているかを確認する)
- 卒業製作(底付けと呼ばれる工程を伝統的な製法で行い、整形靴を製作する)
- 接客販売演習(靴を販売する場合に必要な技術を身につける)
- 学外実習(約1ヶ月間、自分の行きたい実習先を選択して、学校以外の技術を学ぶ)
- 海外セミナー(整形靴の本場であるドイツに行くがコロナで行けませんでした。。。仕方がない。。。)
- 卒業試験(整形靴や中敷の製作、靴の調整を規定の日数以内で仕上げる)
以上です。
最後に卒業試験と書きましたが、各授業ごとに試験は存在します。普通に授業に取り組んで、勉強をすれば全然受かるレベルの試験です。頭が良いわけではない私でも大丈夫でした!
いや、待ってください。これは好きなことだから自然と学ぶ姿勢が高かったのかもしれません。なので、「普通に授業に取り組んで」と書きましたが、「リアルガチに取り組んでいた」が正しいかもしれません。笑
学校の授業以外の取り組み
経歴の最後の方にも書きましたが、学校の授業以外の取り組みで靴作りの技術はより向上させようとしていたため、少ないかもしれませんが色々と考えながら取り組んできたつもりです。
- 靴教室に通い、ハンドソーんで一足仕上げる
- 木型教室に通い、自分の足に合わせて一足仕上げる
- 卒業生の方(オーダー靴の工房)にて靴作りの技術向上を図るため、仮靴を製作する
- 大阪の靴職人育成講座に参加し、靴一足仕上げたり、アッパーの製作をする
- オンラインの型紙講座に参加する
- 靴のイベント(靴博)や靴の販売店に行き、デザインや接客等の勉強をする
- 材料をいろんなところから購入して使ってみる
- 木型屋さんに直接行ったり、セミナーに通い木型についての知識を身に付ける
- いろんな人の歩き方を観察してみて、この人はどんな足をしているからこんな靴が良い等を考える練習をする
- インスタグラムで僕の存在をアピールする
書き出したら、キリがなさそうなのでこのくらいにします。笑
もちろん、日々技術を高めるために自分の足に合わせた木型を用いて靴を製作したり、家族の木型を角材から切り出して製作し、靴を製作したり、、、、、
日々何かしら手を動かし続けています。
入学前との気持ちの変化
入学前は、学校卒業と同時に独立してやるといった気持ちで燃えていました。
しかし、足のことを学ぶにつれて、靴を何足か作るにつれて、これはかなり難しいと気がつきました。製品レベルに達するには、2年では足りないと。。
では何年あれば良いのか?
あと2年はかかるのではと考えています。
理由はいくつかあります。
まずは資金面です。学校に通っていたため、収入はありません。(給付金等で国から手助けをしてもらっていましたが、生活費や学費で消えていきました笑)義肢装具会社に勤めつつ、収入を得ながら少しでも技術や知識の向上を図りたいと考えています。
あとは、技術面です。明らかに経験値が足りません。学校でそこそこ良い評価をいただいたこともあるため、ある程度は自信ができましたが、卒業生の工房で靴作りの技術向上のため通わせていただいているのですが、プロの方がやっていて、自分がやっていないことや、見えていない部分が多過ぎて、まだまだだなと思うことばかりです。
しかし、どちらもどこかで線引きをしないといけないとは思っています。そのための2年です。2年後は、30歳です。それまでにどちらも現状考えているレベルに持っていけるように頑張ります。
もちろん技術面に関しては、その時その時の最大限のものができるようにしていくつもりです!おそらく、こうした方がよりこの人の足には良いと考えたり、このやり方の方がきれいにできるなど、考えが都度更新されると思います。そのため、技術面に関しては、限界がないのでは??と考えています。少なくとも残りの私の人生の中ではですけども。。。
楽しいこととつらいこと
楽しいことは、もちろん靴作りができる環境があって、その靴作りができているところです。ありがたいことに、靴を製作して欲しいという声をちょくちょくいただいてまして、実際に製作させていただいています。これは本当に嬉しいです!しかし、その分プレッシャーも大きいです。絶対に良いものを製作するので待っていてください!
つらいことは、なんでしょう。
彼女さんと離れていることくらいかな、、
現在の実力
製作物をみていただければ早いのかなと思いますので、インスタグラムの方を見てみてください。振り返りとして、初めのスリッパから順に載せています。
パッと見た時のかっこよさだったり、細かな部分等まだまだです。伸び代しかありません。これからが楽しみです!!!
まとめ
いかがでしたか?
節目では、必ず振り返ることが大切だな〜と個人的には感じているところです。
卒業製作展示会も無事に終わり、残すは卒業式のみとなりました。そこまでは、最後の学生最後の長期休みだと思うので、たくさん遊びます!
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もちろん靴でですよ!笑笑
あ、最後に皆さんにお伝えしたいことがあります。何か私と連絡を取りたい方は、このブログではなくインスタグラムの方にDMください。お手数ですが、よろしくお願いいたします。
それではまた!
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